Jiko 2021April Greeting CH2

住職挨拶 住持敬词

2021年4月
慈光2021年4月 Translated by 魏
年年歳歳 花相似たり 年年歲歲花相似
歳歳年年 人同じからず 歲歲年年人不同
毎年同じように花は美しく咲くけれど、 繁花年年似錦
それを見ている人は同じではない。 賞花人卻歲歲不同
若いと思って油断していると、 如若不珍惜時光
あっという間に年をとって老いてしまう。 青春便恍然老去
住職挨拶 住持敬詞
桜が冬の寒さにじっと耐え、 像櫻花耐過冬日嚴寒
春に美しい花を咲かせるように 在春天綻放一樣
年年歳歳 花相似たり(ねんねんさいさい はなあいにたり) 年年歲歲花相似
歳歳年年 人同じからず(さいさいねんねん ひとおなじからず) 歲歲年年人不同
「毎年同じように花は美しく咲くけれど、それを見ている人は同じではない。若いと思って油断していると、あっという間に年をとって老いてしまうよ」と、散る花にはしゃぐ若者たちを見て、人生の無常を詠嘆した一句です。 “花每年都會開的很美麗,而賞花的人卻並不相同。詩人哀嘆在落花下嬉戲的年輕人不知青春易逝,容顏易老”。
今年、福厳寺の桜は3月下旬に満開を迎えました。桜の淡いピンク、桃の濃いピンク、菜の花の鮮やかな黄色、そして穏やかに澄んだ空の青色。何気ない景色ですが、この時期にしか見られない絶景です。 今年3月下旬,福嚴寺的櫻花盛開了。淡粉色的櫻花,深粉色的桃花,明黃色的油菜花,還有那清澈湛藍的天空。這看似美麗隨意的景色,卻也是絕景。因為只有在每年的這個時候才能看到。
桜は決して人を喜ばせるために花を咲かせるわけではありません。桃も決して人を喜ばせるために実をつけるわけでもありません。冬の寒さに耐え、虫や病気に侵されながら、生きるために、自己の存続のために、花実をつけるのです。 櫻花不會為了討人喜愛而盛開,桃樹也不會為了讓人高興而結果。它們忍耐過冬天的寒冷和病蟲的侵害並在春天開花結果,僅僅是為了自己能夠存活下來。
けれども、その一見自分本位の生きざまが、結果として美しい花となり、美味しい実となって周囲に喜びを与える。それが自然のあり方です。 雖然活的有些自我,但從結果上來看,漂亮的花朵,好吃的果子,會給周圍帶來歡樂。這才是自然的法則。
この春、福厳寺では新たに3人の修行僧を迎えました。現役の大学生もいます。現役の社会人もいます。世間から見れば、ストイックで厳しい修行生活。多くの世俗の楽しみや、慣れ親しんだ家族や仲間を離れて、たった一人で山寺の未知の世界へ身を投じる。 今年春天,福嚴寺迎來了人3位新人修行僧。他們中有正在讀書的大學生,也有已經步入社會參加工作的人。在世人看來,“修行”的過程,一定是一段嚴苦的歲月。是要放下自己興趣愛好和至親朋友,去隻身投入到山寺的未知世界。
修行僧というと、「強い精神力と強固な意思を持った者たち」と思われるかもしれません。あるいは、「浮世離れした変わり者」と思われるかもしれません。しかし多くの修行僧たちは、世間一般の人々と何ら変わりはありません。自分で修行道場の門を叩いたにもかかわらず、ふと仲間のことを思い出して、すでに剃り落とした後ろ髪をひかれたり、キャリアを捨てて修行生活に入った自身の選択を疑ったり、寺に訪れる参拝者の方々を見て、その自由で楽し気な生活を羨んだり・・・。 修行僧,要么被認為“精神頑強和意志堅定”。要么被認為是“遠離浮世囂塵的怪人”。可他們中的大多數,與我們這些“世俗人”沒什麼不同。雖然是他們自己主動叩響了修行道場的大門,但是還會有想起朋友,誤抓自己“不在”的頭髮,後悔自己拋下職位的時候。他們甚至有時還會羨慕那些來寺院參拜的信者,羨慕他們自由自在的生活著。
「同世代の仲間は会社に入って働き、お金を稼ぎ、貯蓄もしながら人生を謳歌している。仕事を通じて、商品やサービスを提供し、税金を納め、社会に貢献している。それに比べて俺は一体ここで何をしているんだ・・・。」などと、内心大きな葛藤の嵐に揺さぶられながら日々を過ごしているのです。 “與自己年紀彷彿的同學,同事,朋友此時已進入社會有了工作,賺了錢,甚至很可能正邊攢錢邊在享受生活。通過自己的職業給他人提供商品和服務,納稅,為社會做著貢獻。相比之下的我,在這里幹著什麼呢?”等等。 。 。每天都在內心的糾結和矛盾中煎熬。
それでもその先に、迷いや執着を離れて、世の中をありのままに捉えられる聡明さを求めたい。欲、怒り、頑固さを離れて、柔軟で、穏やかで、人を思いやる優しい人になりたい。怠け心や誘惑に引きずられることなく、自らの軸を定めて、ブレない人生を歩みたい。という、漠然としながらも、明確な願いと誓いを持っています。「自己を成長させたい」「人生をより良いものにしたい」そのような欲を持っています。 儘管如此,我們希望自己能遠離迷茫和執著,擁有探求世界本質的智慧。成為一個遠離慾望、憤怒、頑固、成為一個溫柔,體貼他人的人。不被懶惰和誘惑所拖累,安心定性,走上堅定不移的人生道路。並帶著這份既模糊又明確的願望和誓言前行。帶著“完成自我成長”,“讓人生變得更有意義”的要求前行。
お釈迦さまは、欲を2種類に分け、それを正く抑えよと説かれました。 釋迦牟尼佛教誨說,慾望有2種,對這2種慾望要予以合理正確的控制。
お釈迦さまは欲を抑えよと教えられました。そして抑えるべき欲を2種類に分けて説いています。 釋迦牟尼佛祖還教誨說,要控制慾望。特別要合理控制以下這2種慾望。
渇愛(かつあい)と、志欲(しよく)の2種類です。 即渴愛和志(向)欲
「渇愛」は、眼、耳、鼻、舌、身、意という感覚器官を喜ばせる欲です。これらの欲はもちろん、生きるために必要な欲です。けれども、渇愛を放っておけば、人生の質が下がってしまうのです。 “渴愛”是指讓眼、耳、鼻、舌、身、意這些滿足感官的慾望。當然這些慾望是生存所必需的慾望。但是,如果放任渴愛,人生的質量就會下降。
例えば美味しいからといって、気の向くままにケーキやチョコレート、ステーキやラーメンなどを食べ続ければ、肥満や病気を発症してしまいます。なぜなら旨味の正体は、砂糖と塩と油だからです。砂糖と塩と油を使ったマジックが、「旨い!」の正体です。もちろんたまに楽しむなら問題ありません。しかし、旨いからこそ、依存、中毒にもなりやすい。渇愛をコントロールできなければ、一時的に感覚器官は喜んだとしても、長い目で見れば、病気を発症したりして生活の質を下げてしまうのです。 比如雖然好吃,但如果隨心所欲地去吃蛋糕、巧克力、牛排、拉麵等等,就會引起肥胖和疾病。為什麼呢,因為美食的真面目是糖、鹽和油。這是一套由糖,鹽,油組成的魔法。被施魔法的食物當然“好吃!”偶爾享受美食是一點沒有問題的。但人很容易對美食易產生依賴、甚至達到中毒的程度。不能合理控制渴愛的話,即感官一時被滿足,很開心。可常此下去,會因為生病等其他隱患而導致生活質量有所下降。
一方、「志欲」は、生活や人生の質を上げる欲です。志欲は、気づき・理解・知識がなければ生まれない欲です。生活や人生の質を上げるもの、価値あるものと罪悪になるものを見極めることから始まります。志欲が生まれると、自分や社会に価値を与えるものを、探究したり創造したくなるのです。しかし志欲もまた抑える必要があります。お釈迦さまは志欲も放置してはいけないとおっしゃいました。 另一方面,“志欲”是提高生活和生命質量的慾望。如果沒有知覺力,理解力和知識是無法產生志欲的。首先要學會分辨哪些是能提高生活,生命質量的,有價值的志欲,哪些是會產生反作用的志欲。人有了志欲,就會想要去探究和創造給自己和社會帶來價值的東西。但志欲要合理抑制。釋迦牟尼佛教誨說,志慾不可置之不理。
欲は心に生じるエネルギーなので、放置しておくと行き場を失って暴れたり、違うエネルギーになって望ましくない方向に変換されたりするからです。 因為慾望是生於心中的一股能量,如果放任不管,它就會因失去控製而暴走,或轉為成其他能量從而奔向不理想的方向。
では、どのようにして志欲を抑えるかというと、成就して抑えるのです。 那麼,如何抑制志欲?成就的同時並抑制。
志欲がある時は成就するように努力する。知恵を育てて(気づき、知識、理解を深めて)正しい欲、正当で道理にかなった欲と、正しくない欲、不当な欲を分別する。 產生了志欲後,要為了成就它去努力。培育智慧(加深知覺、知識、理解力)辨別什麼是正確合理的慾望什麼是不正確不合理的慾望。
渇愛を抑えて、志欲が生じるよう刺激する。志欲が生じたら、すぐさま成就して抑えるよう、努力する。それが、私たち佛心僧の仏道修行です。 抑制渴愛,刺激志欲的形成。志欲形成後及時成就並努力控制。這就是我們佛心僧所謂的佛道修行。
修行僧たちにとって、自己と徹底して向き合う2年間は確かに厳しいかもしれません。しかし同時に、この上なく有意義な時間であり、間違いなく、彼らの質の高い将来に向けての原点となることでしょう。 對於我們修行僧來說,徹底面對自我的2年確實很嚴峻。但同時,這是一段非常有意義的時光,毫無疑問,這將成為他們走向高品質未來的原點。
桜が冬の寒さにじっと耐え、春に美しい花を咲かせるように。決して人のためではなく、自分のために懸命に咲くように。それでいて、咲いた花が人々を喜ばせ、楽しませるように。 櫻花一直忍耐著冬天的寒冷,在春天綻放出美麗的花朵。絕不是為了別人,而是為了自己而努力綻放。賞櫻的人心生喜悅只是其次而已。
この『慈光』をお読みになっておられる皆さまは、修行僧ではありませんが、求道者の一人であることには違いありません。どうぞ皆さまも、私たちの修行僧とともに、渇愛を抑え、志欲を育てていきましょう。皆さまのご健勝と、生きとしいけるものが幸せであることを祈りつつ。 手持《慈光》的諸位讀者,即便不是修行僧,也必是求道者之一。請大家和我們修行僧一起,抑制渴愛,培養志欲吧。祈禱諸位身體康健,眾生幸福。
合掌 合掌
令和三年四月吉日 佛心宗 福厳寺住職 大愚元勝 令和三年四月吉日佛心宗福嚴寺住持大愚元勝