住職挨拶 住持敬词

2019年7月
慈光2019年7月 Translated by Gi
慈光特集 慈光特集
福厳寺が曹洞宗を離れ 福严寺脱离曹洞宗
「佛心宗」を興した3つの理由 兴创“佛心宗”的3个理由
今、日本の仏教界は 现在,日本的佛教界正濒临于
「寺院消滅」という危機に瀕しています。 “寺院消亡”的危机中。
危機の原因は、少子高齢化、地方の過疎化(都市への人口流出)、核家族化、後継者不在、信仰心の希薄化などです。 其主要原因是,少子高龄化,偏远地区的人口稀少化(人口向大城市的流出)核心家庭化,缺少继承人,信仰心的缺失等等。
しかし、最も大きな危機は、こうした時代の変化を対岸の火事と傍観して、寺院が危機感を感じていないことにあります。例え感じていたとしても、何をどうしたら良いかが分からず、具体的な対策を実行できないのです。 可最大的危机是面对这些时代的变迁,寺院如隔岸观火,毫无危机感。或即便有危机感,也不知该如何去解决,采取具体的行动。
今、全国に7万以上ある寺院のうち、2万は住職不在。今後この流れは急速に進み、日本の寺院は3分の2が淘汰されていくと言われています。 现在、全国7万多座寺院中有2万没有住持。今后这个趋势还会快速发展,3分之2的寺院将会被淘汰。
平成30年、福厳寺は、「曹洞宗」を改宗し「佛心宗」を興して、佛心宗福厳寺となりました。 平成30年,福严寺由「曹洞宗」改宗「佛心宗」,兴创了佛心宗福严寺。
その理由は、「迫り来る危機を回避し、よりよい寺院づくりを目指すため」です。 其原因为“避免即将到来的危机,成为更优质的寺院”。
今回の『慈光』では、その決断の背景や意図を出来るだけ詳細に記しました。どうか会員の皆さまには、福厳寺が直面する課題を自分ごととして真摯にとらえ、この危機を共に乗り越えていくために、理解を深めていただきますようお願い申しあげます。 这期《慈光》,尽可能详细的介绍这个决意的背景和原因。无论如何请诸位认真的对待福严寺将面临的挑战。为了共渡这场危机,我发自内心的请求得到大家的理解。
曹洞宗を離れ「佛心宗」を興した理由(1) 由“曹洞宗”改宗“佛心宗”的理由(1)
福厳寺の門戸を開放し、より多くの会員を募るため 开放福严寺的门户,迎接更多的会员
今から40余年前、福厳寺は、檀家制度を解散し、会員制度の寺となりました。その理由は「檀家総代の総辞職」です。くちた伽藍の修築のため、ご寄進をお願いしたところ、檀家総代が総辞職をなさったのです。 40年前,福严寺解散檀家制,导入会员制。檀家制被迫解散是因为“檀家总代表辞退了其所有职务”。当时为了修复腐朽的福严寺伽蓝,福严寺向檀家请求寄附,可檀家总代表却提交了辞呈。
江戸政府が制定した檀家制度の意図 江户政府制定檀家制的意图
そもそも檀家とは、民を統治し、キリシタンを増やさないために江戸幕府が作った制度です。小作人たちが自由に土地を行き来して生活をすれば、稲作は不安定になります。そこで幕府は、地域にあるお寺に戸籍を管理させ、檀家としてお寺との関係を構築させました。子どもが生まれればお寺に届け、亡くなれば葬儀を執り行って戸籍から抜く。そうすればキリシタンが入り込めないという仕組みです。檀家は、戸籍と、ご先祖様の慰霊を預かってもらう代わりに、お寺の経済基盤を支えました。 “檀家”原是江户幕府为了统治人民,抑制天主教徒增长的制度。如果农民在土地之间自由流动并过上自己的生活,水稻的种植就会变得很不稳定。所以幕府通过当地寺院管理户口登录的手段,构筑了檀家和寺院的关系。孩子出生就要去管辖范围内的寺院登录,如有人去世就在寺院举行葬礼然后注销户籍。在这种制度下天主教徒就无法涉入其中。檀家把户籍,祭奠祖先的事宜交给寺院,作为回报,檀家要支撑寺院的经济底盘。
けれども、日本に現存する著名な寺、大きな寺は、天皇や豪族、武将など、その時代の権力者が建てていますから、天皇家や殿様からのサポートを失った現代、日常に法要収入だけでは、維持管理が追いつきません。それを檀家が負担し続けるには、限界があるのです。都心に広大な境内地を持つ寺院なら、地代収入に期待ができます。京都奈良の著名寺院なら、拝観料などの観光収入に期待ができます。しかしながら、例え京都奈良であっても、著名でない寺院や、過疎が進む地方の寺院などは、檀家からのまとまった寄付がなければ、老朽化した伽藍の修築ができないのです。 但是,日本现存的名刹是当时的天皇,贵族,武将等权势之人所建。放在失去天皇,贵族扶助的现代,光靠法要的收入是无法维系寺院的管理和日常开销的。檀家的承受能力也是非常有限的。在城市中心有土地的寺院还可以期待地租的收入。如果是京都奈良的名寺也有门票等观光收入,可即便是在京都奈良,如果不是有名的寺院,因受人口减少的影响,如果没有檀家的大笔寄付,年久失修的伽蓝也是无法修建的。
福厳寺の創建は1476年、室町時代の末期に遡ります。当時大草を治めていた武将、西尾式部道永氏が、高僧として名を馳せた、盛禅和尚を迎え、大草の民の心の平安と、自らの参禅道場として創建したのが福厳寺です。福厳寺には盛禅和尚を慕って、多くの弟子が集まり、修行に励みました。そして、育った弟子たちは次々に各地にお寺を開いていきました。しかし、盛禅和尚がお亡くなりになった後、弟子達が建てたお寺(末寺)から、福厳寺(本寺)の住職を順番に勤める輪番制度が慣習化すると、福厳寺の住職は老僧になってから順番が巡ってくる名誉職のような形になり、修築や建て直しを呼びかける和尚が現れなくなっていきました。 福严寺创建于1476年,可追溯到室町时代的末期。当时统治着大草的武将,西尾式部道永氏请来大名鼎鼎的高僧盛禅和尚,为大草百姓的内心平安和自身修行的参禅道场而修建了福严寺。因敬仰福严寺的盛禅和尚,许多弟子聚集于福严寺潜心修行。修行结束后的弟子们依次出寺,在全国各地开创了新的寺院。可盛禅和尚圆寂后,原应由开创分寺的弟子们轮班担任本寺住持的制度,在福严寺现任住持年迈后,轮番当职成了形同虚设的荣誉职位。自然出面号召修筑,修建寺院的和尚了也慢慢不见了。
福厳寺が会員制度に至った経緯 福严寺导入会员制的经纬
福厳寺を心の拠り所とする会員を広く募り、多くの会員が少しずつ負担をすることによって、福厳寺の維持が出来る仕組みを考案 广招把福严寺当成心灵归属的会员,通过减少每位会员负担的方法来维持福严寺的运营
そのような時代背景の中、先代住職であった霊峰武三和尚が30代目の住職に就任した時には、福厳寺の伽藍は酷く傷んでいました。伊勢湾台風の被害も影響して、本堂は雨漏りし放題、客殿は薄暗くシロアリに蝕まれ、トイレはお釣りが返ってくる汲み取り式のまま、今では考えられないような荒れ模様でした。そこで武三和尚は、当時の檀家総代に福厳寺修築のための勧募協力を呼びかけましたが、大きな伽藍の修築には多大な費用がかかるため、矢面に立って負担と批判を受けるのはゴメンと、当時の檀家総代が総辞職なさったのでした。武三和尚は、一軒一軒、少しでもご寄進をお願いできる檀家を廻って有志を募りました。快く協力を申し出てくださった檀家も少なくありませんでした。けれども、集まったご寄進だけでは福厳寺の大伽藍を修築することは、到底不可能でした。 在这样的时代背景下,先代住持灵峰武三和尚就任第30代住持时,福严寺的伽蓝已经严重腐朽。因受伊势湾台风的影响,本堂大面积漏雨,客殿阴暗并被白蚁侵蚀。卫生间更是十分简陋的旧式,在现在是完全不可想象的惨状。在这样的情况之下,武三和尚决定修复福严寺。便请当时的檀家总代表帮忙,号召诸位檀家寄付。总代表留下了“修复大伽蓝需要大笔资金,不想因为这件事成为诸檀家责备对象”的话后便辞退了所有职务。武三和尚挨家逐户的呈请愿意帮忙的檀家寄付,哪怕是拿出一点点。虽然马上应允的檀家也为数不少,可杯水车薪。仅仅依靠这些寄付到底是无法修复福严寺的大伽蓝的。
しかしながら、武三和尚は、東北大学で宗教社会学の博士号を取得し、東京の駒沢大学や名古屋の愛知学院大学にて教鞭を執るなど、仏教の社会的意義と、時代に機能する寺院のあり方を研究してきた人でした。さらにまた、先代和尚は、仏教を広く伝えるために各宗派から優秀な僧侶を集めて組織された、仏教伝道協会の初代事務局長として選ばれた人でもありました。武三和尚は、伝道仏教協会で、仏教聖典を編纂して多言語に翻訳し、世界中のホテルに配布したり、ダライ・ラマ14世が来日した際にホスト役を務めるなど、仏教界の最先端に立って「生きる知恵としての仏教」を普及させる活動をしてきた人だったのです。 但是,取得过东北大学宗教社会学博士,在东京驹泽大学执过教鞭的武三和尚是深知佛教的社会意义并研究过“如何让寺院与时俱的人。而且先代和尚为了发扬传承佛教,集结各派优秀僧侣,组织佛教传道协会,他甚至被选为首届事务局长。武三和尚在传道佛教协会,把佛教圣典编撰翻译成多国语言。达赖喇嘛14 世访日时,他做为特约嘉宾出席,站在佛教最先端的他,一直投身于“生存智慧的佛教”的普及活动中。
そこで、武三和尚は考えました。「今の福厳寺には伽藍の修築や増築が必要。しかし、そもそも、かつて殿様が建てたこれだけ大きなお寺の維持負担を、地元大草の限られた檀家にお願いするには限界がある。これからの時代は、福厳寺を心の拠り所とする会員を広く募り、多くの会員が少しずつ負担をすることによって、福厳寺の維持が出来るような仕組みを作らなければならない」と。 武三和尚开始思量。“现在的福严寺需要修筑增筑伽蓝。但当时修建寺院的权贵已经不在,留下的是庞大的寺院维持费。而大草现存檀家的能力也十分有限。从现在开始,福严寺应广招把福严寺当做心灵依靠的会员,会员多,每个人的负担也自然减少,必须创立一个维护福严寺继续运作下去的机制。”
改革の第一歩は、幼稚園の創立から始まりました。武三和尚は、幼稚園を創立して自身の生活を支え、住職任期の間、福厳寺からは無給無休で、福厳寺の再建と会員募集に尽力しました。幸い当時は、人口増加で高蔵寺ニュータウンや桃花台ニュータウンに、家を買って移り住む人たちが多かった時代でした。そこに向かって門戸を開くことによって会員を拡大し、何とか福厳寺伽藍の全面改築を成し遂げたのです。 改革的第一步,创办幼儿园。武三和尚通过新办的幼儿园来维持自身的生活。任职期间,他无报酬无休假,竭尽全力的投入到福严寺的再建和会员招募中。幸运的是当时,随着人口增加在高藏寺新城和桃花台新城购房的人不无少数,以至迎来了移住的新时代。迎合时代发展,广开福严寺院大门,发展新会员,终于实现了福严寺伽蓝的全面改造。
欲を言えばきりがありませんが、今の福厳寺は、昔の福厳寺と比べると天と地の差です。以前の福厳寺を知る人なら分かると思います。福厳寺は明るく、気持ちよくお参りできるお寺になったはずです。しかし、まだまだ安泰ではありません。急速な時代の変化、会員の核家族化、時代とともにくちていく伽藍に修築、境内山林の維持管理、墓地の維持管理、大規模な震災や不慮の事故・・・諸行無常の摂理を超えて、皆様の心の拠り所を守り、540年続いた福厳寺を次の時代に受け継ぐためには、十分ではないのです。 提起“欲”字似乎没有尽头。现在的福严寺和过去相比真的是天差地别。熟悉福严寺的人应该都知道。现在的福严寺比起以前,可以称的上是干净明亮的。但是,这离泰安还很遥远。时代的急速变化,会员的核心家族化,随时代变迁而腐朽的伽蓝的维护,修筑。境内山林的维系管理,墓地的维持管理,大规模的震灾和意想不到的事故…..超越诸行无常,守护诸位的心灵依靠并传承于后代,这对于延续了540年的福严寺来说,还不容乐观。
新しい時代に向けた、お寺のあり方 作为寺院,如何迎接新时代
今、日本の仏教界は危機に直面しています。後継者不足、人口減少、核家族化、少子高齢化の波を受けて、檀家離れ、信者離れが進んでいます。地方に行けば行くほど、例えば住職が餓死するなど、厳しい寺院経営を強いられているお寺が少なくありません。日本には、7万を超える仏教寺院がありますが、その内2万ヶ寺はすでに住職がいない、無住寺院として放置されています。今後20年の間に、地方の衰退、消滅とともに、間違いなく寺院、神社の数は激減していきます。どんなに歴史があるお寺であっても、曹洞宗などの包括教団が救ってくれるわけではありません。 现在,日本的佛教界濒临危机。后继不足,人口减少。受核心家庭化,少子高龄化的影响,檀家和信者的疏远问题还在发展中。偏远地区勉强维系运营的寺院不为少数。甚至发生了住持饿死的现象。在日本,有7万多处的寺院,其中有2万多处没有住持。没有住持的寺院常年处于荒废状态。在今后20年,伴随偏远地区的衰退和消亡的影响,寺院神社也一定会有所消减。不管历史多么悠久的寺院,曹洞宗教团也不会伸出援助之手。
旧来の既存檀家のみに依存する寺院経営は、寺院と檀家双方が負担に苦しみ、破綻していくのです。 依靠古老的檀家制度,对寺院和檀家双方来说都是痛苦的负担,而且最后要面临的是寺院破产。
その対策として「限られた檀家が多くの負担を強いられる檀家制度ではなく、数多くの会員が少しずつでも志を寄せることによって維持される会員制度の寺にしよう」それが、先代住職以降、福厳寺が目指す、新しい寺院運営の形です。 作为对策,“不做让檀家倍感重负的寺院,成为,运用小负担会员制来维持运营的寺院”这是先代住持以后,福严寺要追求的新寺院的运营方法。
曹洞宗を離れ佛心宗を立宗した理由。それは、福厳寺に心の拠り所、魂の鎮魂の場を求める人々に、より広く門戸を開くためなのです。 脱离曹洞宗,确立佛心宗的理由。就是为了向所有把福严寺当作心灵依靠,镇魂之所在的人们大敞佛门。
曹洞宗を離れ「佛心宗」と興した理由(2) 脱离曹洞宗确立“佛心宗”的理由。(2)
宗派を超え、仏教の原点 「お釈迦さまの教え」に立ち返るため 为了跨越宗派,返回“释迦摩尼佛的教诲”这一佛教原点
「あなたの家の宗派は何ですか?それはいつの時代に、誰によって説かれた、どのような教えですか?」 “您家信奉的是哪个宗派?是什么年代,由谁,如何传教给您的?”
今、日本人は世界で最も信仰心を失った人々だと言われています。おそらくこれをお読みの皆さんの中でも、「自分の信仰や宗派」について問われた時に、はっきりとその信仰を表明し、宗派の教義について答えられる人は少ないと思います。うちの宗派は「○○宗です」と答えられる人はいます。しかしながら、それは「私は○○宗を信仰している」という個人の自覚ではなく、先祖(といってもせいぜい数代前)が○○宗だったから、という「家」の慣習に基づく無自覚な信仰です。 现在,日本人被说成是世界上信仰最缺失的人群。就连《慈光》的读者中,也很少有人在被询问自己的“宗教信仰”时,能清楚的说出自己的信仰并明确的回答关于其教派的定义。能回答上来我是“某某宗”的人很多。但这里没有明确的个人感受,不能代表“我信奉的是某某宗”。一般也都是先祖(这里所谓的先祖也就是上几代人而已)是(信奉)这个宗,这其实这只是家习,是无个人意识的信仰。
さらに、若い世代ともなると、家の宗派も知らない。そもそも仏教とは何かを知らない。お寺=お盆や法事「法要」の時に行くところ。僧侶=お葬式などでお経を上げる人、という感覚です。それを信仰とは呼びません。信仰心が希薄な理由は、仏教について、宗派についてよく知らないからです。 更有甚者,年轻人甚至不知道自己家是什么宗派。就连佛教是什么也不清楚。寺院-盂兰盆节和法事(法要)时才要去的地方。僧侣=是在葬礼上诵经的人,这不能称作为“信仰”。信仰心缺失的原因,是对佛教,对宗派的不理解导致的。
政教分離によって失われた、仏教の知恵 由政教分离导致的佛教智慧的消逝
なぜ知らないのかと言えば、戦後、信教の自由とともに日本国憲法に規定された、政教分離令の原則によって、学校でも宗教について教えなくなり、また、核家族化にともなって、家庭でも神仏に馴染む機会が減ったからです。僧侶も淡々と葬儀法要をこなすだけで、仏教を説く機会と努力を怠ってきました。その結果、日本人の崇拝対象となったのは「お金」でした。老若男女を問わず、聖俗を問わず、いつしか日本人は、神仏よりも、お金を最高の価値として崇めるようになりました。神仏や自己の探求をやめ、お金の探求に人生の大半を費やすようになってしまったのです。 为什么说不了解。战后伴随信仰自由,根据日本宪法对政教分离的明确规定,学校不能教授学生宗教信仰。在家庭,则因核心家庭化的影响,减少了熟悉神佛的机会。僧侣也只是把葬礼事宜当作业务去熟练,没有积极创造努力传播佛教的机会。结果导致的是,日本人崇拜的对象成了“金钱”。无论男女老少,无论圣俗。在不知不觉中,日本人把钱看作是超越神佛的一切,把钱当做最高价值去崇拜。抛弃神佛和自我追求,为了追求钱而耗费了大半生的间。
教育の場は、かつての寺子屋から学校へと移り、親も学校も「いい大学に進学して、いい会社に入る」ことが、子どもの幸せだと信じて期待するようになりました。人生の目的は、いい会社に入ること。いい会社とは「給料が高くてお休みが多い」会社です。そこに熾烈な競争が生まれます。 在教育方面,学塾变成学校了。父母和学校认为孩子“考个好大学,有个好工作”才是让孩子幸福的期望。人生目的成了“找个好工作”。这里提到的“好工作”是指,“收入高,假期多”。就这样,激烈的竞争产生了。
今、そうした拝金主義社会の喧騒と競争に疲れ、精神を病む若者が増えています。家庭が彼らの安心の場なら良いのですが、なかなかそうはいきません。彼らは苦しみから逃れたくて自死を試みたり、心の拠り所を求めて、麻薬、お酒、ギャンブル、買い物依存症、援助交際、悪意のある宗教などに惹きこまれていくのです。 现在,被拜金主义社会的喧哗和竞争所困苦的年轻人在不断的增加。家庭本应是让他们安心的地方,却不为所愿。他们为了从痛苦中解脱而尝试自杀。为了找到心灵寄托,沉迷于麻药,酒精,赌博,购物上瘾,成为援助交际,加入恶性宗教组织。
救いを求める多くの若者たち 正在求救的众多年轻人,
宗派仏教にとらわれず 希望你们
正しく仏教を理解し 不问宗派
人生の指針として 正确的理解宗教
役立てていただきたい。 发挥自身的作用,成为人生的指南针
私は、平成27年の住職就任以来、そうした若者達の状態を危惧して、僧侶として何かできることはないかと、自問しました。そして、インターネット上の、YouTubeという動画配信サービスを通じて、人々の悩みに仏教の知恵で答えていく、『一問一答』という番組を提供することにしました。3年が経過した今、『一問一答』の登録者は、13万人を超え、質問の回答待ちをしている人は、1300人にのぼります。 本人于平成27年任住持以来,十分担心年轻人的这种现状。我扪心自问,“作为僧侣,不能为他们我能做些什么吗?”就这样,我通过网上YouTube的视频发布功能,制作并提供了一个叫做《一问一答》的节目。3年过去了《一问一答》频道的登录人数超过13万人。等待解答的观众超过1300于人。
『一問一答』を配信してわかったことは、人々の信仰心が薄れ、仏教への関心を失ったわけではないということ。むしろ、救いを求めて、お寺や僧侶に期待をしているのです。それなのに、私たち僧侶が、情報発信(布教教化)を怠り、人々に仏の教えという宝を届ける努力を怠っていたことに気づいて、大いに反省しました。 通过录制《一问一答》的视频而得知,大家并没有失去信仰心,失去对佛教的关心。我发现正相反,大家在期待,甚至正在寻求来至寺院和僧侣的救助。但我们却没有做到积极传播信息(布教和教化),没有及时向大家传递宝贵的”释迦牟尼佛的教诲”。这让我产生了深刻的反省。
仏教は、お釈迦様の教えです。2500年前にインドに実在したお釈迦さまが、35歳で覚りをひらき、80歳でお亡くなりになるまで、各地を遊行しながら人々に説かれた「苦しみの手放し方」が仏教なのです。仏教と他宗教の、最も大きな違いは、仏教が神様を崇拝する宗教ではないという点です。キリスト教、イスラム教、仏教は、世界の三大宗教と呼ばれていますが、そのうちキリスト教とイスラム教は「唯一絶対の神」を崇める宗教です。「神を信ずる者は救われる」というのが、教えです。 佛教,其实是释迦牟尼佛的教诲。2500年前在印度真实存在过的释迦牟尼佛,35岁时开启顿悟人生,直至80岁去世为止,游走各地布教众生“如何放手痛苦”,这才是佛教的本意。佛教和其他宗教最大的区别是,佛教崇拜的不是神。基督教,伊斯兰教,佛教被称为世界的三大宗教,其中基督教和伊斯兰教是崇拜“唯一绝对神”的宗教。信徒被教诲的是“只有信奉神的人才会被救赎”。
それに対して仏教は、神様に救ってもらうのではなく、自分の中に慈悲心と知恵を育て、努力精進することによって、自らを救うことを説いた教えです。つまり仏教とは、「幸不幸や心の安心は、神様がもたらしてくれるものではありませんよ。他者に対する思いやりと知恵を磨くことによって会得するものですよ。」と説いた教えなのです。 相比之下佛教的教诲是,不求神佛,培养自己的慈悲心和智慧,努力锐意求进,从而达到自救。总而言之,佛教教诲到“幸或不幸,内心的平静,不是通过求神拜佛来实现的,而是通过对他人的关心关怀和磨练智慧才能得的”。
時代の変化とともに枝分かれした仏教 随着时代变化而分支的佛教
お釈迦様がお亡くなりになった後、仏教は、シルクロードと呼ばれる、現在のチベット、中国、韓国などを経て日本に伝えられました。しかしながら、仏教伝来の間にかかった数千年、数千キロという膨大な時間と距離は、お釈迦さまの教えを大きく変容させていきました。仏教は、伝道していく先々で、その土地の土着の文化や宗教、受け取る人々の感覚によって少しずつ変化し、日本に伝わった後も、時代の変化とともに細かく枝分かれをし、「宗派」となっていきました。 释迦牟尼佛去世之后,佛教由丝绸之路经西藏,中国,韩国等传入日本。但这个过程花费了数千年和数千公里。跨越这庞大的时间和空间让释迦牟尼佛的教诲产生了很大的变容。佛教在传播的过程中,受各地本土文化,宗教和信者的影响而变化。在佛教传入日本后,也随时代的变迁而一点点的变化,分支,形成了“宗派”。
仏教が初めて日本に伝わった奈良時代には、華厳宗(審祥/東大寺)、法相宗(道昭/興福寺・薬師寺)、律宗(鑑真/唐招堤寺)など南都六宗と呼ばれる宗派がありました。平安時代になると、天台宗(最澄/比叡山延暦寺)、真言宗(弘法大師空海/東寺・高野山金剛峰寺など)などの密教系宗派が興りました。 佛教在传播的过程中,受各地本土文化,宗教和信者的影响而变化。在佛教传入日本后,也随时代的变迁而一点点的变化,分支,形成了“宗派”。在佛教初次传入日本的“奈良时代”,有华严宗(审祥/东大寺),法相宗(道昭/兴福寺·药师寺),律宗(鉴真/唐招堤寺)等被称为南都六宗的宗派。到了平安时代,天台宗(最澄/比睿山延历寺),真言宗(弘法大师空海/东寺·高野山金刚峰寺等)等密教系宗派开始兴起。
鎌倉時代になると、法華宗、日蓮宗(日蓮/身延山久遠寺)、浄土宗(法然/知恩院)、浄土真宗(親鸞/西本願寺)、融通念仏宗(良忍/大念仏寺)、時宗(一遍/清浄光寺)といった浄土系宗派。そして、臨済宗(栄西/建仁寺・円覚寺・妙心寺・東福寺など)、曹洞宗(道元/永平寺・総持寺)、黄檗宗(隠元/萬福寺)といった禅宗系宗派が興ります。 到了镰仓时代,有了法华宗,日莲宗(日莲/身延山久远寺),净土宗(法然/知恩院),净土真宗(亲鸾/西本愿寺),融通念佛宗(良忍/大念佛寺)、时宗(一遍/清净光寺)这样的净土系宗派。随后兴起了临济宗(荣西/建仁寺·圆觉寺·妙心寺·东福寺等),曹洞宗(道元/永平寺·总持寺),黄檗宗(隐元/万福寺)这样的禅宗系宗派。
現在、文化庁に登録されている仏教宗派は、約170。法然から始まり、親鸞に伝わった浄土系仏教だけでも、浄土宗、浄土真宗と別れ、さらにまた、本願寺派、東本願寺派、高田派など、多くの分派に別れています。 现在,在文化厅登录的佛教宗派约有170宗。由法然兴创,由亲鸾推广开来的净土宗,也分净土宗和净土真宗。此外还分为本愿寺派,东本愿寺派,高田派等众多宗派。
さらに、単立宗派、単立寺院(どこの宗派にも属さない単立宗教法人)となると、その数は2500以上にも登ります。鎌倉の長谷寺、長野の善光寺なども単立寺院、名古屋の日泰寺や大阪の四天王寺は、宗派を越えた超宗派の寺。京都の清水寺も、法相宗を離れて北法相宗を興し、本山となっています。 此外,如果再加上独立宗派,独立寺院(不属于任何宗派的独立宗教法人),其数量超过2500宗以上。镰仓的长谷寺,长野的善光寺等也属于独立寺院,名古屋的日泰寺和大阪的四天王寺是超越宗派的超宗派寺院。京都的清水寺也是脱离法相宗,兴创了北法相宗,成为此宗的本院。
仏教の原点は 佛教的原点是
「お釈迦さまの教え」 “释迦摩尼佛的教诲”
これまで列挙した宗派の数々は、現在の日本仏教の実態の一部にしかすぎません。もとは、お釈迦様の教えであった仏教が、伝播した土地、時代とともに変容しながら、特に宗派同士、あるいは同宗派内で対立し、分派していきました。仏教学者や僧侶ですら、これら仏教宗派のすべてを網羅し、その教義の違いや慣習の違いを理解することは簡単ではありません。ましてや一般の方々にとって、今のあまりに枝分かれした枝葉の仏教を理解し、自分の人生、生活の一部として取り入れ、活かしていくことは難しいのです。 目前为止所列举的宗派,只不过是日本众多宗派的一部分。原本作为传播释迦摩尼佛教诲的佛教。因传入地和时代变迁的影响而发生了变化。特别是因宗派同仁之间,或同宗派内之间的对立而产生的分派。即便是佛教学者和僧侣,也不能网罗所有佛教宗派,简单的理解其教义和习惯的不同。作为一般人要理解分支众多的佛教,有效融入并发挥到自己的生活中,更是有一定难度的。
現在、福厳寺には、福厳寺が元々所属していた宗派、曹洞宗の会員だけでなく、浄土真宗、真言宗、日蓮宗、天台宗など、元々の家の宗派が曹洞宗以外の会員が多く入会しています。しかし、その多くの方々は、宗派に対する明確な知識や信仰を持っていません。 现在,福严寺的会员,不但有福严寺曾经所属宗派曹洞宗的会员,还有净土宗,真言宗,日莲宗,天台宗等曹洞宗以外的会员。
だからといって、複雑に枝分かれした宗派仏教の混沌に埋もれたまま、何となく仏教徒、なんちゃって仏教徒でいるのではなく、仏教を正しく理解し、ご自身の人生の指針として、役立てていただきたいのです。 但是,很多会员对宗派没有明确的知识和持有有明确的信仰。虽说佛教现在的宗派错综复杂,但也不能稀里糊涂的陷入其中、做个不明不白的佛教徒。我希望大家可以正确理解佛教,发挥自身的作用,成为自己人生的指南针。
そのためには仏教の原点である、お釈迦さまの教えを知る必要があります。もちろんそれぞれの家が伝統的に大切にしてきた教えを捨てる必要はありません。むしろ、そこを入り口として、佛心の原点に戻る。 所以要知道佛教的原点,理解释迦牟尼佛的教诲。当然每个家庭都有一直以来遵循着的宝贵传统,不需要舍弃。相反,可以把它作为回归佛教原点的入口
つまり、枝葉(各宗派)を通じて、幹(お釈迦さまの教え)を学ぶこと。お釈迦さまの「佛心」に戻ること。それがこの度、新時代に向けて、佛心宗を興した理由です。 也就是说,通过分支(各宗派),向主干(释迦牟尼佛)学习。回归释迦牟尼佛的”佛心”。这是这次迈向新时代,兴创佛心宗的理由。
曹洞宗を離れ「佛心宗」と興した理由(3) 脱离曹洞宗兴创“佛心宗”的理由(3)
大きくのしかかる教団からの経済負担 来自教团的莫大的经济压力
寺院の経営を圧迫する 让寺院经营不堪重负的
宗派教団への高額な義財金 宗派教团的高额义财金
寺院の経営不振 寺院经营不振
天災被害 自然灾害
後継者問題 后继者问题
そのような問題に対しての 却得不到来自宗派教团的
支援は一切ありません。 任何支援和帮助
寺院は、所属する包括団体(宗派教団)に義財金と呼ばれる上納金を納めます。教団は、その義財金を元に運営されています。各寺院に割り当てられる義財金の額は、そのお寺の寺格、規模によって変わります。私自身も法人経営者ですから、教団を運営するために十分な義財金が必要であることは重々承知しています。しかしながら、現状の包括団体に各寺院が支払う義財金に見合った支援やサポートはありません。もし地方の寺院が経営不振や、天災などに見舞われたとしても、全く支援はありません。 寺院要向所属组织(宗派教团)缴纳被叫做“义财金”的款项。教团便是在义财金的收益基础上运营的。所属寺院的分担额,根据其规模和寺格的不同而不同。我自身也是经营者,深知运营教团需要足够的义财金。但现状却是,宗派教团并没有给予寺院所缴纳缴款相应的支援和帮助。如果地方寺院出现了经营不振或是遭了天灾,得不到任何来自教团的帮助。
また、義財金の種類も、毎年納める宗費、副住職、住職になる時の届け出金、境内地の売買時、伽藍の修築時など、多岐に渡ります。特に曹洞宗は伝統仏教の中でも高額なことで知られています。 而且义财金的名目非常之多。除了每年缴纳的宗费,新增副住持,住持时的登录通知书,境内所持土地的贩卖,伽蓝修筑时花费的工程费等等,都需要缴纳。特别是曹洞宗,在传统佛教中的收费高的出名。
今回曹洞宗を離れる決断をしたのは、宗費の見直しと建物の修築費用への義財金負担への懸念からです。 这次下定决心脱离曹洞宗,也是因为担心宗费重估和缴纳修筑费时所带来的重负。
大幅に増額される 大幅度增额
教団からの宗費 教团的宗费
現在福厳寺では、毎年200万円を超える義財金を曹洞宗に納めており、その費用は、会員の皆さまからの護持会費によって、まかなわれています。その徴収基準が40年前のもの(当時の檀家登録者は300)であるとして、見直されることになりました。 现在的福严寺,每年要向曹洞宗缴纳超过200万日元的义财金。这些费用都是来自会员的护持费。征收标准是按照40年前的(当时的檀家登录者为300人),现在这一收费标准要重新做估算。
この背景には、曹洞宗に限らず、宗派教団を離れて単立になる寺院が増えていることがあります。曹洞宗は日本の伝統仏教の中でも、最も寺院数が多い教団として知られていますが、その数が大幅に減っているのです。その埋め合わせは各寺院の負担となります。福厳寺は、小牧春日井辺りでは最も高い寺格の寺であり、また、会員が増加しているお寺ですから、今回の見直しで、大幅に義財金の負担額が上がることでしょう。 在这样的背景下,不仅曹洞宗,脱离宗派教团独立的寺院越来越多。众所周知,曹洞宗是日本拥有寺院最多的教团,但现在这个数字在大幅度的减少。而填补这个空缺的,就是剩下的各个寺院。福严寺是小牧春日井周边寺格最高的寺院,加上今年会员的增加,这次缴纳准则被重估后,一定会被要求缴付更多的义财金。
土地建物にかかる多額の義財金 为土地建筑缴付过高的义财金
曹洞宗の規則によれば、被包括寺院は、土地の売却費用の1割、建物の改修工事の1割を、曹洞宗に納めなければなりません。「曹洞宗の名前で檀家を集め、寄付を募るから」という名目です。 根据曹洞宗的规定,所属寺院贩卖土地时收入的1层,改修建筑时费用的1层要缴付于曹洞宗。因为所属寺院“是以曹洞宗的名义招揽檀家,募集捐款的”
1億円の修築費がかかれば、1千万。2億なら2千万の計算です。驚くべきことに、私が住職を交代した後、先先代の時代、過去60年に遡って土地の売買や、建物の改修工事金額に対する未払い義財金の請求が来ました。 1亿日元的修筑费,缴纳1千万日元。2亿就要缴纳2千万日元。让我吃惊的是,在我上任住持后,竟收到了60年前贩卖土地,建筑改修工程时没有缴纳的义财金收款单。
先に述べた通り、先代住職は、檀家を解散し、伽藍修築のためにかかった費用を、寄付金のみに頼ることなく捻出してきました。40年の任期に渡って行った工事は、数億円にのぼります。もちろん、宗費等、きちんと納めるべきものは納めてきたわけですが、建物の修築や建設などは、上記の理由を申し述べた上で、納めてきませんでした。そして先代住職の任期中、教団からは、そのことに対しての一切のお咎めはありませんでした。 如前面所提到的,前代住持解散了檀家,修复伽蓝时的费用,除了寄付得到的一些,余下的资金全部是由自己出的。在长达40年的任期中所花费的修复费高达数亿日元。当然,像宗费这类费用都丝毫不差的缴纳过了。建筑的修筑和建设费在向曹洞宗教团陈述了上记理由后,没有缴款。而且先代住持在任期间也没有受到来自教团的任何苛责。
それが、住職交代のタイミングで、催促が来たのです。「なぜ私の代になって?」という問いに対しての曹洞宗の答えは、「福厳寺に限らず、全国で同じような問題が起きている。年老いた住職に話しても話が通じない。だから若い住職に交代したタイミングで請求している。」「未払い分を納めないと、今後一切の書類や僧侶としての上級資格を与えない」というものでした。 但就在主持交替的时候,收到了催促状。”为什么到了我这代要交?”面对这个疑问曹洞宗的回答是“不光是福严寺,全国的所属寺院都是这样处理的。老一代的住持无法沟通,所以这个要求都在年轻住持上任时提出”“如果不补交,将不协助办理各类资料和发布僧侣需持有的任何上级资格”。
伝統仏教宗派が抱える問題点 传统佛教的问题点
私は、曹洞宗の寺院として、教団に対する危惧を覚えました。 作为曹洞宗的所属寺院,我对教团的做法产生了危机感。
義財金の納入は規則です。守るべき規則を守らなければ教団の規律が保たれません。 缴纳义财金是规定。不遵守规定就无法维持教团的纪律。
しかしこの義財金は、震災で被災した寺院にも一律に適応され、経営や後継者不足に喘ぐ地方寺院に対しても、事情や現状を考慮することなく、一律で適応されるのです。もちろん教団からの経営支援やサポート、後継者派遣などの対策は一切ありません。 但这义财金,对在震灾时受灾的所有寺院都支付相同的金额。对那些饱受经营和后继者不足而残喘的寺院,也没有任何考量和现状分析,也是支付相同的金额。当然也得不到来自教团在经营上的支援和帮助,更不会给受困寺院派遣后继者等等。
さらに、ただでさえ僧侶が減少しているこの時代に、衣の色と引き換えに、半ば脅しのように義財金の取り立てをする行為は、覚悟をもって寺を継ごうとする若手僧侶の出鼻を挫くことになります。 在这个本来就僧侣越来越少的时代,用不交钱就不许更换僧衣这样的半威胁行为收揽义财金,给正准备接管寺院的年轻僧人于非常大的挫败感。
例えば、福井にある曹洞宗の大本山、永平寺には、かつて200名を超える修行僧が入山し、修行に励んでいました。しかし近年、永平寺の修行僧は激減し、一度上山(修行に入ること)すると、人手不足のために、なかなか下山を許してもらえないと言われています。修行僧が減るということは、寺院の後継者減少を意味します。曹洞宗といえば、伝統諸宗教の中でも、最も寺院数が多い教団として知られていますが、今や、寺の後継者が激減しているのです。 比如,在福井的曹洞宗大本寺永平寺,曾经有超过200名的修行僧入山修行。但如今,永平寺的修行僧锐减,传说一旦上了山(进行修行)就会因人手不足而不会轻易的被批准下山。修行僧的减少意味着寺院后继者的减少。曹洞宗,称得上是传统诸宗教中拥有寺院最多的教团,但是现在这些寺院的后继者却在不断的减少中。
現在日本には、7万を超える仏教寺院がありますが、そのうち2万は、住職がいない無住寺です。 现在在日本有超过7万座的佛教寺院,其中的2万多处没有住持。
今や後継者不足は仏教に限りません。神社も教会も同じ悩みを抱えており、地方へ行くと、一人で5〜20もの神社を兼務しておられる宗教者もあります。実際、福厳寺も、大草の中に、薬王寺、庚申堂(朽ちて荒れ果てていますが、未だ手がつけられていません)という2ヵ寺を兼務しています。 现在不光是佛教后继无人。神社和教会也抱着同样的苦恼。在有的地域,一人兼任5-20个神社。实际上,福严寺也在大草地区同时兼任药王寺,庚申堂(虽然已经极度腐朽,但是还未能着手重建)2处寺院。
福厳寺自体も、新しく立派なお寺に見えますが、修築から永い時間が経過した建物については、雨漏り、ハクビシンの糞尿、シロアリの被害等が散見されます。曹洞宗に所属している限り、上記の修築工事にも、朽ちたお寺を建て直す時にも、修築費用全体の1割を納めなければなりません。福厳寺が曹洞宗を包括団体とし、従来の寺院と同じく檀家制度をとっている場合、これは一体誰が負担し続けるのでしょうか。 福严寺自身也是一样,虽然看起来是新筑的气派寺院。但修筑多年的建筑已随时间的流逝而受损。漏雨,果子狸的粪尿,蚁害等随处可见。只要所属于曹洞宗,上述的修筑工程,重建腐朽寺院时都必须要把修筑费用的1层上交。如果福严寺一直隶属曹洞宗,和其他寺院一样持续檀家制度的话,这些费用到底谁会一直负担下去呢?
迫り来る危機を回避し 避免即将到来的危机
お釈迦さまの「佛心」に立ち返り 返回释迦牟尼佛的“佛心”
新しい時代のよりよい寺院づくりを 带着气概和觉悟
気概と覚悟をもって取り組む所存です。 打造新时代下的优质寺院
最後に 最后
これがこの度、福厳寺が曹洞宗を離れ、佛心宗を立ち上げた理由です。なおこの決断は、福厳寺寺院規則に則り、責任役員会にて5分の4以上の承認を得て決議されました。 这是这次福严寺脱离曹洞宗,兴创佛心宗的理由。而且,这个决断是根据福严寺寺规,得到5分之4以上的责任委员同意而决议的。
昨年5月に包括団体曹洞宗への離脱届け出を提出、11月に法人の所轄庁である愛知県知事への届け出を認可され、「佛心宗福厳寺」として、正式な登記を済ませました。 去年5月向综合团体曹洞宗提交了离宗通知书,11月法人管辖厅的爱知县知事批准了法人申请,正式登记为“佛心宗福严寺”。
最後になりましたが、曹洞宗福厳寺から、佛心宗福厳寺に変わったからといって、会員の皆様の負担や、行事、儀式作法が変わったわけではありません。 虽已至文章最后,即便福严寺由曹洞宗改宗为佛心宗,但会员的负担,活动,仪式方法不会有任何的改变。
唯一変わったことは、 唯一改变的是
1. 仏教の原点(佛心)に立ち返り 1.返回佛教的原点(佛心)
1. 広く教化、布教に努め 1.推广教化,努力布教
1. 会員に、儀式、行事、学習の機会を提供し 1.为会员提供仪式,活动,学习的机会
1. 人々から慕われ、尊敬される後進僧侶の育成に努め 1.努力培育被人爱戴,受尊敬的后继僧人
1. 会員の心の拠り所、安心の場となる道場を興隆させ 1.振兴会员的心灵依靠,安心之所在
1. 540年続いた福厳寺の伝統と伽藍を、次の時代に引き継ぐ 1.把延续了540年的福严寺传统和伽蓝传交给下一代
というお寺本来の役割に対して、私たち僧侶が、あらためて気概と覚悟を持ったことです。 再次拿出气概和觉悟,竭力发挥我们僧人对寺院该有的作用。
長く、分かりにくい文章となってしまいましたが、どうぞ会員の皆様におかれましては、何度もこの初心を読み返していただき、福厳寺の新時代に向けての取り組みに、ご理解、ご協力いただければ幸いです。 文章的篇幅有些过长并难懂,但请诸位会员反复阅读,返回初心,支持福严寺为迈向新时代而做出的变革。
令和元年、六月吉日 令和元年,六月吉日
福厳三十一世 大愚元勝 福严寺三十一世  大愚元胜
合掌 合掌